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1.インドに着く

 昔インドに来たのは、1965年のディラン峰遠征の帰り、それに続く69年の「西パキスタンの旅」の帰りの2回だけ。69年のときは、女房の土産のキャッツアイを買いにボンベイ経由でセイロン(今のスリランカ)に渡った。
 いずれにしろ、ほぼ40年ぶりといえる。
 インドの発展は凄まじいなどといわれているから、一体どんなんだろうと思って、約10時間を超すフライトの後、インディラガンジー空港に降り立った。

インデラガンジー空港.jpg 別にこれといって近代化されている訳でもない、というのが最初の印象だった。
 だだ、インド人の服装は、なんだかアメリカの田舎の空港を連想させた。パキスタンのようなシャルワルカミーズを着たひとはまったく見当たらない。それだけアメリカナイズされたということか。
 ガンジーは、イギリスの服を買うな自分で紡ごうと呼びかけたのだが、ガンジー空港でのこの状態はなんだか皮肉に思えた。

名前を書いたカードを持った、ものすごい数のひとが並ぶ、なんだかバンコック空港を思い出すようなひとの列の中を抜けてゆくと、EXITの表示があって、プライベートタクシー、ロードタクシーと書いてある。この方向かなと思っていると、一人の男が話しかけてきた。
「タクシーかい。どこまで行く」
「Dee Marks Hotel。いくらかね」
「750ルピーだよ」
そう言われても、高いのか安いのかまったく見当もつかない。スーツケースなどの荷物を満載したキャリーを押しながら、外に出るときれいな乗用車が並んでいた。
「750は高いではないか(サットソウ、パッチャース。マンガーハイ)」
とりあえず、値切るに限ると思ってそう言ってみた。インドのヒンディー語は、パキスタンのウルドゥ語とほとんど一緒なのだ。
「そんなことは無い。20キロも離れてるんだよ。サーブ、ドルで払うのかい。ドルなら20ドルだよ」

インドタクシー出札.jpg メータータクシーは無いようだ。タクシーの相場が分からないまま値切っていてもしようがない。そう思って、家内にここで荷物とともに待つように言うと、空港内に取って返した。タクシーの運ちゃんがついてくるので「お前は来なくていい」と追い返した。
空港でタクシーの値段を聞きたいのだがと尋ねていると、何人ものタクシーの運ちゃんが次々と寄ってくる。ある男は800といい別の男は700という。
 一人の男が「それは当然あなたはプリペイドタクシーに乗るべきですよ。ついてらっしゃい」なるほど、その出口には、EXITプリペイドタクシーと書いた札がかかっていた。窓口で、行き先を告げると、住所を聞かれた。インターネット予約で打ち出したバウチャーペーパーのアドレスを示すと、150といった。一瞬耳を疑い、問い直したがやはり150ルピーだった。どの運ちゃんもボリ過ぎではないか。

家内のところに戻ると、何人かが値を競ってきて今は500になっているという。「あかんあかん。あっちや」
パキスタンとなんにも変わらんではないか。勿論このごろでは、パキスタンの空港には、いつも迎えの車が待っているから、こんなことは無いのだから、正確には昔のパキスタンと言うべきなのだが。
プリペイドタクシーの窓口で150ルピーを支払い、バウチャーペーパーをもらう。これを見せてバンタクシーにのりこむ。このタクシー色といいしつらえといい、20年前のパキスタンと一緒ではないか。
古いモーリスのバンのタクシーは、チェックポイントでバウチャーペーパーを見せ、台帳に記入してもらってから空港を走り出た。
喧噪と砂埃の道を走る。車といい、ゴミだらけの道といい、昔のパキスタンではないか。カラチの空港周辺のほうが、もっときれいだ。
ITの発展で、発達目覚ましい国というイメージはかなり消えて行く感じであった。

この国での時差は、マイナス3時間半、お金1インドルピーは約3円。この4スターホテルは1泊170ドル。Rates To Go(直前予約サイト)でようやく探し当てたもので、デリーのホテルは軒並みとんでもなく高い。
インターネットへは、WiFiでつながるそうだが、ロビーからだけというので、明朝そこから繋ぐつもり。

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