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18.バクチ事件のてんまつ

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 あれはいつ頃のことだったか。浅間山荘事件があって、連合赤軍のリンチ事件が報じられた頃でしたから、一九七二年くらいだったかな。たしか、ホームルーム日記に、一人の赤軍シンパの生徒が、ひどいショックを受けたと書いていたのを億えていますから……。
 とにかく、世の中、えらく騒然としていました。ぼくは、二年生のクラスを担任していました。教室は、木造校舎のはしっこの二階でした。どうも端のクラスというのはさわがしくなるようです。
 永くおんなじ学校にいたりするとふと気づくのではないかと思うのですが、年が変って生徒が替っても、ある教室のクラスの雰囲気が、非常によく似ている、ということがままあります。どうやら、人間集団は、その居場所に極めて強い影響を受けるのではないかという気がするのです。これはなにも学校のクラスに限ったことではないようです。例えば、家族にしても、木造家屋に住んでいる人たちが、ビルに替れば、もしかしたら性格まで変ってくるのではないだろうか。
 さて、あの「はしっこの教室」には、その場所に、そうさせる何かがあったのか。いつもにぎやかで、少なくとも、お行儀のよいクラスとはいえませんでした。
 ぼくは、その頃、生徒に強制することをできるだけ少なくしたい、かなうことならゼロにしたいと考えていました。なにかを試みるのが好きなぼくとしては、ちょっとした実験をやっているような気分だったのです。
 授業では、情緒的な圧迫感を与えないように気を配っていました。試験の点数など、特にきかれでもしない限り全然知らせませんでした。出欠も取りません。でも、欠席が特に増えたという訳でもなかった。
 担任のクラスでは、生徒が昼のショート・ホームルームをさぼっても、出席を強要しませんでした。そのかわり、伝達事項を教室に掲示して、適当な時に、見るように云い渡しておきました。ぼくは当時、カナタイプに凝っていたので、掲示の文はひらがなでカナタイプで打つことにしました。これは、なかなかいいタイプの練習でもあったのです。
 こういうやり方でも、決定的な不都合はなんにも生じなかったのですが、一つ困った問題が起ってきたのです。教室がどんどん汚なくなったのです。
「教室が汚れています。そうじするように、委員の人は方法を考えて下さい」
 ぼくは何度もそういいましたが、委員達は、一向に当番を決めようともしなかったのです。教室は紙屑だらけになりました。
 週一回のロング・ホームルームの時に、ぼくは屑箱をささげて、机の間をぐるぐる回りました。「みなさん、回りのゴミを拾って、ここに入れて下さい」
 それで大分きれいになりますが、一日、二日で元の木阿弥でした。もう、臭いまでしてきていました。いろんな先生からの苦情も強烈でしたが、ぼくは、
「もう少しガマソして下さい。少し考えることがありますので……」とお願いしたり、相手によっては、「はあ、そうですネ」と無視したりしていました。

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 二ヶ月もした頃、生徒もたまりかねたのか、掃除をしようといいだした。ホームルームで方法を決めるそうです。ぼくはホッとしました。でも、あんまり表情には出さないで、討議はみんなにまかして、引き上げたのです。
 翌日の放課後、教室にゆくと、教室はみちがえるようにキレイになっていました。それでも、四、五人の女生徒が掃除中でした。男の子が一人も見あたりません。ははあ、男女交代でやることにしたのか、ぼくはそう思い、
「今日は女の番ケ」
と、ききました。すると一人が、
「いいえ、掃除は女子だけでやることになったん」
と、すました順で答えたのです。
「なんでや」
「多数決で、そう決まったんやもん。しかたないもん」
と、別の一人が、少しフクレッ面で答えました。少しあっ気にとられ、聞きだした事の次第は、まあ次のようなことでした。
 一人の男子生徒が、掃除は女子がやることにすべぎだと提案した。彼は提案理由を、こう述べたといいます。
「みんな、家へ帰ってみ、掃除はお母さんがやってる。つまり掃除は女の仕事やないか」
 もちろん女子側は、「そんな無茶な」と猛反対した。ところが、女子生徒の人数はクラスの三分の一ほどです。多数決で、簡単に押し切られてしまったのだそうです。
 そんなアホな。無茶苦茶な話ではないか。
「お前らそんな。ソージするな。そら多数決の暴力や。拒否せえ」
 ほんとに止めてもええのかいなあ、という顔をしている彼女等に、ぼくはしたり顔に説明したものです。あんなあ、民主主義イコール多数決とちゃうのやぞ。多数決原理というのは、もともと多数が強いのに決ってる中で、少数意見をどう取り入れようかという精神なんや。こんな雑な説明で分ったとは思えなかったのですが、とにかく、「明日からは止めます」ということになったのです。
 翌日、放課後、散人の男子生徒が、血相をかえてやって来ました。
 センセ、けしからんやないか。ワシらがクラス討議をして決めた全体の決定をくつがえすのか。多数決で決まったことを守らんでもええのか。すごい剣幕です。
「守る必要ないわい。それは多数決の暴力じゃ」
 そういった時、フトぼくの頭にひらめき、
「あんなあ、生徒を男と女になんで分けるねん。ワシの頭には、男生徒も女生徒もないんや。みんな同じクラスの生徒や。そやし、あんな決定は何のことか分らん」

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 掃除は普通に行われるようになり、まあ、毎日点検に出掛けて出欠をとるような担任のクラスに較べたら少しは汚ないかも知れないけど、並の教室程度にはなったようでした。
 夏休みが済んで二学期が始まり、もうそろそろ秋風も吹き始めた頃、一つの事件が起こりました。一人の生徒が家出をしたのが発端でした。
バクチ事件S.jpg その生徒は祖父母に養育されていることは分っていたし、何か家庭の問題が原因だろうとぼくは推測しました。でも、それは、ぼくにとって、あんまり関係のない事に思えたし、依頼もないのに、どうこうする必要もないと思ってほっといたのです。まあそのうちに帰ってきよるやろ、あいつの事やから……。
 一週間ほどして、彼は警察に保護されたのですが、そこで重大な事実が明らかになったのです。
 家出をした彼は、京都駅構内の格好の物置きをねぐらとして、そこに寝起きしていたのですが、落ちていたカメラを拾い、それを持って、河原町を歩いているところを補導され、そのカメラが盗難届けの出ているものだった。そこで取調べが始まり、その中で家出の原因が明らかになったのです。彼はクラスの教室で賭けポーカーをやって、負けがこんで、支払いに窮して家出したという訳です。えらいことです。関係ないどころの話ではなくなりました。ぼくは早速、その五、六人のばくちグループと話し合いました。
 みんな友達なのですが、「アホなやっちゃ、家出しても済むことやない」という者もいれば、「警察でしゃべるとはケシカラン裏切りや」といきまく奴もいました。「あいつも可哀そうやで、家いってみ、あのバアさん、なんやらいう宗教にこったはるやろ。あいつに向いたら、二言目には、『あなたは神の子なんです』。あれではタマランと思うわ」
「それで、負けはなんぼになってんのや」
と、ぼくはたずね、みんながいった額を合計したら、なんと八万円をこえていました。
「へええ、なんでまたそんなぎょうさんになったんや」
「あいつ、負けを取り返そう思うて、どんどん点をあげよったしやろ」
 いずれにしろ困った事態になったと思いました。こういう状況では、友達の手前、彼はもう学校へは来れないだろう。事実、家庭では、すでに私学への転校の用意をしているそうです。別の問題は、学校側の対応です。こういう場合、担任は、その生徒の処置を補導委員会に報告するのが普通です。でも、もし補導委員会に渡したら、この生徒が、学校に来れなくなることは、もっと明らかでした。
 ぼくはあんまり相性のよくない校長に、この件は、ぼくが解決してみる積りですと言明しました。

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 解決は、ばくち仲間共が、彼に「気にせんと来いや」といってやることしかない。でもこれは仲々大変なことです。これは強制してできることではありません。彼等は、「前に負けた時は、ワシはアイツにちゃんと払ったんや」などといってるんですから……。
 とにかく、ぼくは、放課後にホームルームを招集したのです。いつも、ボケーッとしてのんべんだらりのぼくが真剣な顔付きしているからか、クラスはシーンとしていました。
 ぼくは経過を説明し、「担任として、ぼくは彼が学校を止めるような事態は、なんとしても回避したいと考えている。この方向で、みんなで解決法を考え出してくれ」と依頼しました。
 やがて一人の生徒が、「バクチはもともと悪いことや。みんなが反省したら、それでしまいや。彼は来たらええんや」
 ぼくは黙って聞いていました。普通の場合、ぼぐはクラスの討議には席をはずすことにしていました。ぼくがいると自由な意見がでないと思ったからで、経過は後で誰かに聞くことにしていたのです。だから、クラスの一隅で、ぼくが耳を傾けているということ自体、異常なことでした。
 すぐに別の一人が、「バクチがなんで悪いね、大人はみんなやっとる」と発言しました。すると「それは、違うと思います。賭博は法律で禁じられているはずです」と女生徒がいいました。「ニナガワはんは競輪を認めとるやないか」という反論がでて、ぼくは思わず苦笑してしまいました。
 こんな具合にけっこう発言は活溌でしたが、当事者たちは終始沈黙を保っていました。誰かが、「彼は、負け込んだお金を払わなくてもいいはずだ。それで友情にひびが入るということもないはずだ」と発言したとき、別の一人が憤然として立ち、
「賭けが悪いとかいいとか、そんな問題とちゃうんじゃ。負けたら払わんならんもんなんじゃ。そういうことになってるねん。女房質に入れても……ということもあるんや」
 みんなあっ気に取られ、シーンとなったのです。何人かは、ぼくの意見を読み取ろうとぼくの顔を見ました。ぼくは、
「人間の集団には、その集団のモラル、仁義があることは認めるし、それを悪いとは思わない。しかしこの場合、学校を止めねばならない瀬戸際に立ってる奴の立場で考えたい」
と述べました。
 翌日、夕方、ぼくは、ばくちグループを学校の近くのキッサ店に集めました。
「あいつ学校止めよってもいいんか」
「もともと正当な金でもないし、もらおとは思ってません」
 そういったのは、いちばん多額の貨しのある男でした。それにつられたように、次々と連鎖反応的に、「わしかてかまへん」とみんながうなずき、ぼくは、「ほな、電話するし、直接、そういうたれよ」
 すぐに現われた彼に、連中はみんな、もうすっかり金のことはあきらめがついたのか、
「お前、気にすんな。わしら別にどうも思わへんぞ。学校へ来いや」
 みんなから、肩をたたかれ、彼は消え入りそうな顔をしながら、それでも、うれしそうでした。ほんとにあの時は、ぼくもうれしかった。
 彼等はみんな何事もなかったように卒業してゆきました。
 たしかに、今現在、おんなじ事件が起こったとしたら、とてもこんな具合にはゆかないだろうとは思います。全てに、時代の流れと背景がある。
 ただ、ぼくが思うのは、もしぼくが、あのクラスで、「掃除をせえ」というやり方をしていたら、ああいう感じの解決はできなかっただろうということ、これは多分確かなことだと思うのです。

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