西パキスタンの旅 第11話「幻の峠を求めて−−ガブラル谷−−」

ポーターとの接し方
幻の峠2 キャラバン出発の朝。ポーターたちが集まってきた。11人。10人といっておいたのだが…‥。一人一人名前と年をきく。みんなが、30歳、25歳、20歳、15歳で、その間の16とか23とかはない。すべて推定年齢ということだ。
 そのとき、息せききって、駆けつけた男がいる。
「サーブ俺はどうなる。行ってもいいのだな。俺は行くぞ」例の男だ。一昨日、初対面で、大いにうり込み、茶店では、私たちに茶をふるまったりした。
 私たちは、ポーターは彼がひきつれてくるとばかり思っていた。ところが、集まった連中の中にあの馬面が見えないので、不審に思っていたところだ。
 自分も、仲間10人を集めてやってくるつもりであったが、つい朝ねぼうをしてしまった。自分一人だけでもそう思って駆けつけたという。
「アブゥ。お前は駄目だ」ポーターのファキール・モハメッド(三〇)が、ドスのきいた声でいう。
「アブとは何だ。俺のなまえはアブドゥル・ワ・ドゥールだ。俺は行くぞ、ファキール。サーブとおととい約束したんだぞ」アブの顔は真剣そのものだ。ファキールの方は、アブドゥルがムキになるので面白がっている様子。
 二人がいい争っていると、鉄砲を持った男−シカリー(猟師)のジアラッド・ファキール(三〇)一がよく通る声でいった。
「やかましい、アブドゥル。お前が行くか行かぬかは、バラサーブの判断だ(バラサーブカマルジー)」
 ポーターたちは、急にシンとなって、みんなが私の顔を見た。
 「アブドゥル。行きたいというなら、一緒に行こう」
 できるだけ、おおように構えること。パタン人ポーターに対するプリンシプル第一。こせこせ口出ししたり、けちけちした態度は感心しない。(ただし、これは相手のいうなりに金を払うということではない。むしろ値切るときには徹底的に値切るべきだ)
 第二。命令してはならない。
 だから私は、アブに「お前をやとう」とか「ついてこい」とかいわずに、「一緒に行こう」といった。
 第三。対等に扱うこと。決定を下すうえに彼らの意見をきく。キャラバンの泊まり場などは、完全にまかせる。必要日数だけきめておけばよい。パタン人のような、特に個性の強い連中と接するには、無原則というのが一番よくない。そう思って、以上の三つを、パタン人ポーターに接する三原則とした。
 もちろん、このプリンシプルがどこまで妥当で、どれほどうまくゆくか、それは疑問だ。みんなで検討して、間違っておれば訂正し、足らなければつけたす。これは、そんな最初の手がかりにすぎない。
 そして、何回もの試行錯誤の末に、彼らにも、私たちにも納得のゆく、〈接触の原則〉が見つかるだろう。そうなって、私たちと彼らの間に、本当のラポール(人間的な信頼)が生まれ、私たちの峠越えも可能となるだろう。キャラバンは、こういう意味で非常に重要な期間なのだ。

スワットのデルスウ

 私たち四人とポーター一二人、それにポリス二人の総勢二〇名のキャラバンは、カブラル谷を進む。
 美しい谷だ。U字谷の氷蝕壁が、素晴らしい岩壁となって、タンネの木立を通して、両岸に展開する。道はずっと右岸ぞい。
 三時半、ひらけたメドゥに着く。
 シカリーのジアラッドは、荷物を置くとすぐ、銃を片手に岩壁の方へ忍んでゆく。銃声がしたと思ったらすぐ、二羽のノバトを下げて現われた。いい腕だ。狙ったら絶対はずさない。この日だけで、彼は五羽のハトをしとめた。すべて私たちの胃袋に入った。シカリ−をポータ−に加えたのは成功だった。
 彼は、荷物をかつぐときにはいつも、「シャッカニ、バッカニー」とかけ声をかけて立ちあがった。(これに特に意味はない。日本の「セーノー」にあたると思われる)「山にいることがうれしくてしょうがないんや、あいつ」関田はいった。「ほんまのシカリーや、あの顔見てみ、ニコニコしてよる」
 そして自分もまた、「シャツカニ、バッカニー」と彼のかけ声をまねた。
 その夜、私たちは、セリジャバと呼ばれる放牧地の草原で、大きなたき火をかこんでいた。ポーターたちは歌った。その単調で、乾いた旋律には、中央アジアの匂いがあった。
 ジアラッドは、銃をだいて、たき火から少し離れた岩の上にねそべっている。その、たき火に照らし出された姿を見ながら、中村がいった。「デルスウみたいや。スワットのデルスウ・ウザーラですネ、あいつは」
 ベースキャンプで引返すとき、彼はK2というタバコを五箱も、私にくれた。タバコが少ないのを知っていたのだ。
 いたく感謝した私は、ウトロートに帰り着くと、もう少し上等のウイルス一〇箱と靴下を返礼とした。
 すると、彼は今度は、ツキノワグマの毛皮をくれた。ますます感激して、私たちは双眼鏡を贈った。

コンサマーを叱る

幻の峠2マップ 翌日は、ハラハリ谷の出合、ラブリまで進んだ。ここからカブラル谷を離れ、ハラハリ谷に入る。ここで、カブラル谷について、少々述べておこう。
 ガブラル谷は、ほぼ北から南に下る、全長五〇〜六〇キロのU字谷である。
 この谷は、ゴジリー語(いままで報告されなかった言語と思われる)を話す人たちの生活圏である。二六〇〇メートル付近までは永住村。それより上流は夏村。
 夏、谷の残雪がきえると萌え出す牧草を追って、彼らは上流へ移動してゆく。谷の両岸には、このための夏小屋(あるいは移牧小屋)が、ほぼ一〜二キロおきに点々とつづく。もうみんな上にあがったあとで、すべて空家である。
 五時少し前、ラブリ着。
 石づくりの小屋が七つ。内五つは家畜用。人間用の一つに私たち、もう一つにはポーターが入る。
 ポーターたちは、もう二日目でかなり仲よしになった。一緒になってさわぐ。やっぱり、アブが槍玉にあがる。
 彼は初日は関田のお伴で、荷物は一六ミリ映写機と捕虫網だけ、意気揚々だった。けしからん奴だと、ファキールが、今日はたくさん持たせた。アブドゥルには面白くない一日であった。
「トゥム、アッチャーナヒーン(君は駄目だ)」と中村。彼にスケッチブックをあずけておいたら、どこかに置いてきてしまったらしいという。
「あしたは、アブで牝馬をこしらえようかい」今度はファキールがこういうと、怒ってとびかかった。でも半分ふざけてのこと。(このあたりでは獣姦がごく普通で、右の文句にも特別な意味があるらしい)
 アブについてはかなりわかった。彼は字が書ける。この辺ではすごいインテリだ。ポーターたちもー目おいている。しかし、ひとこと多いのと、オッチョコチョイが玉にきず。チャパティ作りの名人だ。おいしいチャパティが食べられるのは、彼のおかげだ。
 コックのアリカーン(二〇)はてんで駄目、何をしてよいのかわからず、ぽんやりしている。昨日もそうだった。
 明日でキャラバンは終わる。何かもめごとがおこるとすれば明日だ。私は、一ぱつ気合をいれた。「コソサマー(コック)!お前の仕事は何だ。いってみろ。荷物は持たず、メシも作らず、金だけもらうつもりか。今すぐ帰れ」
 私が急に激しい言葉をはいたので、アリカーンは驚いて、口もきけない。ファキールもジァラッドもうろたえた。
 私たちは、小屋に入って、ひそかにオンザロックを飲んだ。洒は極秘になっていた。
 回教徒にとって、酒を飲む者は悪人である。悪人に対しては、悪事を働いてもかまわない一これが彼ららしい論理かも知れぬと考えたからだ。
 明日は、いよいよハラハリ入り。少々ねつきが悪かった。
(つづく)