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  • Archives: July 2007

旅はBirdyを連れて(1)

 バーディ(BDー1W)は快調です。
 ニースでは、紺碧海岸ぞいの道を20kmほど走りました。海岸沿いには、車道に沿って幅20mほどのプロムナードが続いており、この高台になった道の海岸側にはベンチが並んでいます。
 プロムナードは、散策する人、ローラースケートの人、キックボードの人、自転車などが混然として混み合っています。
 海岸の反対側に、幅約2mのサイクリング道路のラインが書いてあり、高速で走る人はここを走ります。でも、ヘルメットを着けてドロップハンドルのロードサイクルの人は、車道を車と一緒に走っています。

 昼前にホテルを出て、三時間ほど走り、ビールとシーフードサラダの昼食を楽しんでホテルにかえりました。それから、ニース駅に下見に出かけ、ニース〜クーネオの切符を買いました。

 夕飯は、またバーディに乗って出かけ、フランスレストランにバーディを持ち込んで、食事をしました。この辺では、バーディのような自転車はあまりないらしく、奇異の眼差して見られたようです。

 昨日のニース〜クーネオの汽車での移動は、荷物が多く大変でした。クーネオのHerzで、フランス返却の車は貸せないと言われたのですが、インターネットでOKを貰っていると、書面を見せたらなんと650kmしか走っていない新車のアルファロメオが出て来ました。
 ワインディングロードを、アルファロメオの独特快適なドライビングを楽しみながら、リモーネピエモンテに着きました。

 今日は、リモネットまでのサイクリングロードを走る予定で、昼過ぎに出かけました。サイクリングロードということなので、いい道なのかと思ったら、マウンテンバイクでも厳しい道で、半分近くは押して歩かねばなりませんでした。岩あり段差ありの山道もあり、いばらの棘に傷つきながらの行程でした。

 三時間近くかかって、リモネットに到着。カプチーノを飲んで帰路につきました。下りはヘアピンカーブ連続の一般道を走ったので、ペダルを踏むことなく、たったの13分でリモーネピエモンテに到着しました。自重してブレーキをかけ続け、時速45km以上は出しませんでした(バーディには時速が表示されるサイクルコンピュータを付けています)。

 この辺りは、自転車ライダーが多く、車も無理な追い越しをしないようです。来週には、世界の三大レースといわれ、最も過酷な山岳道路レース・ジーロイタリアの88回目レースが行われ、ここリモーネピエモンテは、その出発点となることもあって、おびただしい数のレーサーが走っています。

 リモネットで見かけたおじさんは、バリバリのレーサータイプに乗り、ヘルメットを着けたバリバリの格好をしているのですが、なんとぼくもびっくりするくらいお腹が飛び出しているのです。まずは、日本では決して見られない図柄だと思いました。

 2.12_0038MONACO.jpg明日は、モナコまでスーツケースを買いに出かけようと思っています。もう年代物のスーツケースが壊れましたので。アルファロメオで、コートダジュール沿いの高速道路を走るのを楽しみにしています。
 では、また。
高田直樹

追伸
『なんで山登るねん』の文庫版が出版され、連休中には書店店頭に並ぶそうです。

旅はBirdyを連れて(2002年春)

 どうした風のふきまわしか、BD−1 Birdyなる折りたたみ自転車に興味を持ち、即購入。
 その年の春に、このBirdyを携えてヨーロッパはイタリア、フランス、オランダなどを走った記録です。
 イギリスの作家スティーブンソンの『旅は驢馬を連れて』をもじって、「旅はBirdyを連れて」としました。

旅はBirdyを連れて(1)
旅はBirdyを連れて(2)
旅はBirdyを連れて(3)

No.4 「府立大学メーリングリストへ」

諸兄姉さま
EPV0006.jpg角倉、関田、井川、岩佐の皆さんをニース空港まで見送って、リモネットに戻ってきてアパートに入りました。
アパートの窓からは美しくライトアップされた村の教会が見えます。






EPV0014.jpgリモーネ・ピエモンテのスキー場は、ティーバーリフトがどんどんクアッド・リフトに替わって近代化してきています。
4日間のスキーの後、モナコに移動し2日間を過ごしました。
モナコ迄は、汽車で行く予定だったのですが、線路の復旧がまだなので、レンタカーの返却をのばして、車で行く事にしました。
EPV0015_3.jpg
モナコは、初春の暖かさでした。
ここでは、ミシュランの星付きレストランへ行ったり、カジノで少し遊んだり、優雅な日々を送りました。







EPV0066.jpg夜のカジノ全景です。










DSC00015.jpg13日朝、半時間足らず、一緒に高速を走ってニース空港までみんなを見送りました。









DSC00034.jpgリモネットに戻る前に、モナコのスーパーで、美味しいものを買い込みました。
モナコには、岩山にある王宮の地下にカールフールという巨大なスーパーがありました。






DSC00033.jpgここでゆでエビに、











DSC00021.jpg貝柱に











DSC00027.jpgローストチキン。











DSC00032.jpgシャンパンは、さすがにモナコという感じで大きな棚全部です。
最上段の黒箱が、ドンペリニヨンで、180ユーロでしたが、
そんな物には手が出ません。



では、これにて。
2月14日
高田直樹

No.3「イタリアのスキー場とイタリアンスキー」

04winter3-1.jpg 今回はイタリアスキーとここのスキー場の紹介です。
 背後にそびえる2000メートル級のイタリアアルプスの山頂近くまで広がる広大な3つのスキー場は、左から右に順に、リモーネ1010、リモーネ1400、リモネット1300と呼ばれます。 イタリアンアルプスのCIMA DI PEPINO(2344m)とその右隣FORTE CENTRALE(1908m)の山腹に広がるのが、上記3つのスキー場です。

 これらのスキー場は、リモーネ1010から始めて、登り滑りを繰り返しながら右から左へ移動して、リモネット1300に達し、それから引っ返して、また帰ってくるだけで結構一日はかかります。

04winter3-2.jpg スキー場を紹介してみましょう。 スキーコースの数は46本あって、初級(Easy)は6本。上級(Difficult)は4本。残りは全て中級(Medium)です。 コースの長さは、1キロを超えるものが27本。一番長いものは、5.2キロもあります。これらを、上から下に滑り次ぐと、とんでもない距離となります。
 リフトは、21本。うち8本がチェア−リフト、いわゆる日本でいうスキーリフトです。うち4本がクアッドリフトです。残り15本はすべてお皿のような半球をお尻に挟んで、立ったまま引っぱりあげてもらうもの、こちらでいうリフトです。 (こんな風に、詳しいデータが示せるのは、昨年まではなかった英文のパンフレットが出来たからで、これも2006年のトリノ冬季オリンピックの所為かも知れません) リフトの終点は、大体2000メートルを超えています。森林限界をはるかに越えているので、まあ室堂から天狗山の斜面という感じです。面白いことに、反対側には大日岳にほんとによく似た山があるのです。
 次にリフト料金に付いて書きましょう。 非常に細かいカテゴリーに別れていて、大変複雑なような気もしますが、よく考えられたリーゾナブルなものともいえるようです。単位はユーロ(昨今のレートは、140円です)。まず一日券。

一日券料金表
一日券(Daily ski pass) 26.00
半日券(Short-day ski pass(from 11:30 a. m.) 21.50
シニア券(Senior ski pass(born before 01/01/44) 60才以上 21.50
ジュニア券(Junior ski pass(born after 01/01/90)14才以下 18.50
赤ちゃん券(Baby ski pass(born after 01/01/97)7才以下 無料
午前券(Morning ski pass(until 12:30 p. m.)12時半まで 18.50
午後券(Afternoon ski pass(from 1:00 p. m.)午後1時から 18.50
3時間券(3-consecutive-hour ski pass)連続3時間 18.50
連続した多日券(consecutive multi-day ski pass);相当する日本語がないので仕方なく直訳しました。 これは、さらに、ハイシーズンとローシーズンに別れます。 ハイシーズンとは、2003年の12月20日から2004年1月6日の間と2004年1月31日から3月7日の間です。 ローシーズンは、シーズンの初めから2003年12月19日までと2004年1月7日から1月30日まで。

連続した多日券の料金表(1)
日数 成人 ジュニア(14才以下)
ハイシーズン ローシーズン ハイシーズン ローシーズン
2 50.50 50.50 36.50 36.50
3 72.00 72.00 54.00 54.00
4 91.00 91.00 71.50 71.50
5 106.50 95.00 86.00 77.00
6 120.00 103.00 97.50 86.00
7 134.00 114.00 108.00 95.00
8 146.50 123.00 119.00 104.00
9 158.50 134.00 130.50 113.50
10 169.00 144.00 140.00 122.00
11 176.00 154.00 149.00 131.00
12 183.50 163.00 158.00 138.00
13 189.00 169.00 166.00 146.00
14 194.00 174.00 174.00 154.00
非連続の多日券(non-cosecutive multi-day ski pass);上のカテゴリーと違って、滑らなかった日はカウントされないという多日券です。これは、今年から出来たものです。

連続した多日券の料金表(2)
日数 成人 ジュニア シニア
5 125.00 90.00 102.00
6 147.00 108.00 122.00
7 170.00 125.00 142.00
8 190.00 142.00 161.00
9 210.00 159.00 179.00
10 230.00 175.00 198.00
 次に、Free Cardというカテゴリーがあります。これは、昨年より始まったもので、チップの埋まったICカードで、日本のニセコのもの等と同じ形状をしており、同じように返却時に返還されるデポジットが必要です。デポジット代金は5ユーロ(700円)です。 これ以外のものは、すべて使い捨ての紙カードで、ゲートのスリットに挿入しないといけないのですが、このフリーカードは、胸ポケットに入れておくだけで、ゲートが開いてくれます。 またICカードですから、なくなると追加金を支払って更新出来るし、翌年まで使えます。(昨年始めて出て来た時は、5年間有効を詠っていましたが、変更されたようです) 料金は次のようになっています。

Free Cardの料金表
普通 ジュニア シニア
75.00 52.50 60.00
 私たちは、これを使うことにしました。このカードの説明には、そうは書いてはありませんが、シニアの場合は、一日に20ユーロがカウントされますから、乗った日が3日になると終わりになることになります。いってみれば、non-consecutive 3 days ski passということです。 一日の料金は、60 × 140 ÷ 3 = 2800円ということなります。

 このほかに、各リフトごとに設定されているポイントのみでカウントするポイントカードとか、シーズン券とか、40日券(この券は、買う毎に安くなり、3回目には1/3近くまで下がります)などなど、まだまだあるのですが、これくらいにします。

04winter3-3.jpg ゲレンデの状況に付いて書きます。 どのスキー場も最高点は、2000メートルを越えていますから、雪質はいいといえます。降雪の後等は、キュッキュッという音のする雪ですが、決して柔らかではなく、かろうじでストックが刺さるという感じです。これは、丁寧に圧雪されているからです。 晴天が、数日続くと、ストックも刺さらないようなバーンとなりますが、氷化はしません。エッジを鋭く研いでおかないと安定した滑りが出来ません。

04winter3-4.jpg ゲレンデで気が付くことは、老いも若きも高速で飛ばしている人が多いことです。イタリア人には、スピード狂が多いのかもしれません。広いコースは、完全に整備されており、こぶ等が全くないので、自然にすっ飛んでしまうのです。 白髪の老人が、大声でカンツォーネを唱いながら矢の様に滑り降りていったりすると、イタリアのスキー場という気がします。 こうした大斜面をスピードを落として滑るというのは、それだけ制動を掛けるということで、体力を消耗し、長時間の滑走ができないということです。このあたりが、日本と違う所で、スピードに付いての慣れが必要となる所以です。 ボーダーが極度の少ないというのも、日本と違う特徴です。これは同時にスキーヤーの年齢層が高いということでもあります。ボーダーは、10人に一人あるいはそれ以下です。

04winter3-5.jpg もうひとつ、これは日本にはないヨーロッパのリフトについてです。 日本でいうリフトは、こちらではチェアリフトと呼ばれます。リフトといえば、大きなお椀をお尻に挟んで引っ張りあげてもらう形式のものをいいます。 慣れれば軽快で、立ったままでも結構休めるようで、全く苦になりません。


 じい様スキーヤーとはいっても、みんなスキー暦40年前後という古強者です。それなりに呼吸が合いました。 また、角倉は剣岳東大谷G1初登、関田は穂高岳屏風岩第1ルンゼ第2登、井川はぼくが拓いた剣岳八ッ峰6峰Bフェース京府大ルートの二回目、とそれぞれ記録的な登攀のパートナーでした。
  こんな仲間で、こんな所で、こんな年月を経て、こんな風にスキーが出来るとは、まことに幸せだと思わずにはいられませんでした。 またこの間この広いスキー場で、日本人あるいは東洋人は、ほぼ間違いなく、我々6人だけだったと思います。6人のジャポネーゼは、5日間のスキーライフを充分に楽しんだのでした。

No.2「ホテル・エクセルシオール」

  我々オジンどもが投宿し丁度1週間滞在することになったホテル・エクセルシオールに付いて書きます。 まづは、ぼくがどうしてこのホテルを見つけたかです。

ホテル・エクセルシオール
 04winter2-1.jpg4年前、その時ぼくはともの別荘探しの旅に付き合って、リグリア海岸を巡っていました。この名前、同じ海岸線の続きなのに、フランスでは、コートダジュール(紺碧海岸)イタリアではリグリア海岸と呼ぶ。
 リグリア海岸での最高のリゾートは、ポルトフィーノで、ここでは日本のワンルームマンションくらいの部屋が、2〜3000万もしていました。 とても値が合いません。海岸沿いの主要な街をフランス国境に向けて西に順に移動しながら不動産屋を回る日々を続けていました。 海岸線沿いは駄目だと思ったぼくは、日本にいる時から考えていたように山手に移動することを考えました。
 道路地図を眺めると、リグリア州の山手にはこれと言う場所がなく、北側のピエモンテ州になります。 リグリア海岸から北上する山道のルートがあり、このルートは一旦フランス領に入ってから山を越してピエモンテ州に入ります。 そこにある小さな街、Limone Piemonteという地名が目にとまりました。 フランスと繋がる細い山道、ここはきっと何かいい所ではないか、という気がしました。そこでインターネットで宿を探した訳です。

 4つ星ホテルのエクセルシオールがヒットしてきました。予約のメールを出すと、Beppeさんと言う人が返事をくれました。この人が、後にぼくの定宿になるこのホテルの支配人のベッペさんでした。
 その頃ぼくは、ここが知る人ぞ知るスキーリゾートであることを知りませんでした。ベッペさんが冬の積雪を聞いたぼくに、アルバムを持って来て見せてくれました。 見たことのある顔だな、と思って良く見ると、なんとそれは、あの伝説のスキーレーサー、ステンマルクでした。
 ぼくはかつて、ステンマルクに憧れ、スキー板はエラン、ビンディングはマーカーとステンマルクと同じスキー用具で身を固めていたこともあったのです。 ステンマルクが定宿とするほど、ここがいいスキー場であったことは、大いに驚きでした。

 ベンチミーリアから、北上してゆくと、驚くべき割れ谷の道とはいえ、予想したよりはるかにいい道がぼくを仏伊国境のトンネルに導いたのでした。トンネルを抜けて、15分ほど走り下った所がリモーネでした。 リモーネ・ピエモンテの街は、かつてぼくが40日間滞在したパベルのお父さんの別荘があるスイスのクラン・モンタナを思い出させ、ここが高級リゾートであると知れたのです。   
 そうした場所では、地の人が大変親切でフレンドリーなのが特徴です。この辺がいいぞという気がしたのです。

部屋の台所
 04winter2-2.jpgホテル・エクセルシオールは、ここでは唯一の4スターホテルです。 20世紀のはじめ、モナコ王子が夏の別荘として建造し、その後次第に常連客対象の長期滞在型のホテルへと変わって来たという話です。 普通のホテルとは、大いに趣が異なっていて、特に台所が完備していることは驚くばかり、調理器具や食器類はほぼ完全で、一般家庭と変わらないといえます。どの部屋にも4〜6人が食事出来る大きさのテーブルがあります。 ちょっと意外なのは、バスタブがなくシャワー室のみのことです。

 イタリアンアルプスの山懐のこの街は、8時頃にようやく明るく夜が明けた感じになります。
 リフトは9時から動きだし4時頃に終わります。 街の店は、8時か9時半頃に開きますが、お昼でみんな閉まります。開いているのはバール(イタリアのバー。お酒だけではなくエスプレッソも軽食もある)くらいのものです。3〜4時間のお昼休みが済んで、再び開くのは4時か4時半で、最後は7時半頃に閉まります。
 月曜日の開店は、みんなおしなべてお昼かお昼過ぎ。どうしてかというと日曜日に遊び過ぎてしんどいからなのだそうです。これは、スイスでもおんなじでした。日本人は働き過ぎてはいないかという気がしてきます。

No.1「オジンのスキーツァー出発」

 今年のヨーロッパは、例年になく多量の積雪に恵まれているそうです。 大学山岳部時代の山仲間を誘って、リモーネ・ピエモンテにやってきました。
 1月の9日に関西空港を飛び立ちました。 大学山岳部で同級の角倉との年来の約束のイタリアスキーツァーの始まりです。 一行のオジンたちは、角倉光彦、三年下の関田和雄、さらに3年下の井川裕と三牧建一。それに紅一点の野尻智子、この人はぼくの教え子。高校の時からぼくの傍らで、ソフト開発を見ながら成長したので、僕が考えているコーディングを瞬時に理解できるという特技を持っています。BMW650を乗りこなし、スキーもきわめて達者で、リモネットの山荘のオーナーです。
 このアパートメントは、昨年夏の整備にも関わらず、一行の受け入れにはいまだ不十分なので、我々は当地随一のホテル、エクセルシオールに投宿することにしました。
 エクセルシオールは、もとモナコ王子の別荘だった建物だそうです。DSC00014_1.jpg


 モナコ王国から車で二時間の距離にあるこの辺りには、グレース・ケリーもよく来たそうです。リモネットのアパートの管理をやってくれているマリア・テレーザがやっているレストランの壁には、この店でのレニア王子のスナップショットが壁にかかっています。

 飛行機はいつもの通りKLM。昨年良く乗ったので、マイレージのポイントがたまっており、シルバー会員の資格があるため、ドアサイドで足の延ばせるいい席がオンラインで指定できてしあわせ。
 ほとんど眠り続けてアムステルダム着。 アムステルダムでは、5時間ほどの時間待ちがあります。 荷物をロッカーに入れて、いつもの様に街に出ることにしました。タクシーでローキンのムンク塔の下まで行き、創業200年近い老舗の喫煙店舗ハニエス(ただしマック版IEではうまく動きません)で、葉巻きを買います。ユーロ圏が出来てから、イタリアは外国ではなくなり、空港の免税店の葉巻きが買えなくなったのです。

 小雨そぼ降る中を、ダム広場まで歩き、行きつけのタイ料理屋でトムヤムクンとタイカレー各種でご飯を食べます。いつもの様に機内食でおかしくなっていた胃が、すーっとしてくるから不思議です。 KLMのトリノ便は、夜の9時発。昔乗ったプロペラのフレンドシップ機を思い出させるようなひどくちっちゃなジェット機でした。

 トリノ空港構内のAVISでレンタカーを借ります。同乗者に3名を登録したら、いつもと違ってフルインシュアランスにしてはどうかとすすめられました。全てを網羅した保険にしたらとオネエさんはいいます。 いつもの様にインターネットのディスカウントサイトから申し込んでいるのですが、いつものEuropcarではなくAvisにしたところが、違いました。 150ユーロの追加は大きいと思いましたが、初心者が運転することだし、安心料として支払うことにしました。

 高速道路に乗って1時間ほど走った所で、突然濃霧に包まれました。ともが急にスピードを落とし、先に行ってくれと合図します。霧が出たら大苦手だからそこからはぼくが先に走ると云う申し合せになっていました。 この辺りは常に霧が出ます。この霧が美味しいワイングレープを育てるのだそうですが。 霧の走行は前の車に付いて走るのが秘訣です。ただ車間距離をぎりぎりテールランプが見える距離を保って出来るだけ大きく取る必要がある。 ほとんど真ん前の白線しか見えないくらいの霧の中で、130キロくらいのスピードで前車はすっ飛ぶのでこちらもそれだけ出さねばならない。だから充分な車間距離を取っていないと、よく起こるような50台玉突き衝突というような事態となります。

 高速道路をFOSSANOインターチェンジで下り、クーネオが近付いてきます。
 CENTALLIOの村への分岐点を過ぎる辺りから、雪が現れました。このCENTALLIOは、先頃来た時に家内が千太郎と名付けたので、ぼく達はそう呼んでいるのです。正しくは、チェンターリオと読むのが正しい。「せんたろう」などというのは、ぼくには思いもかけない読み方だったので、おもしろがって言っていたら、とうとう千太郎となった訳です。
  クーネオからどんどん路傍の雪壁が増える中を山間のワインディングロードを30分走り、ホテル・エクセルシオールには、夜中の12時半くらいに着きました。

 日本を飛び立ってからすでに34時間以上が経っているのですが、誰も寝ようとはしません。 関西空港で買った、上等のウイスキーやアムステルダムのスーパーで買ったワインを酌み交わし、空港で買い込んだサーモンやチーズを肴に、みんなで乾杯し談笑していると、すぐに夜明けが近付いたのでした。

7月21日パベル訪問

パベル訪問の様子を知らせます。
030721-1.jpgパベルの家は、二階建てでえらく大きい。右に下りの道があって2つのガレージがあります。?
それと並びに、半地下の部屋がいくつもあります。
コテージ風の造りで、2階は小さな吹き抜けとバスルームを含む4つの部屋。



030721-2.jpg庭は3方に回っていてとても広々としています。









030721-3.jpg一階のホールで、ポーリンが赤ちゃんをあやしています。









030721-4.jpg新しい赤ちゃんNikolaは、10か月になっていました。
秀子がプレゼントした絨毯に座っています。







030721-5.jpgCharlotteもMaaike(マイカ)も大きなって、見違えました。









030721-6.jpgCharlotteは、自転車を練習中です。










030721-7.jpgパベルもポーリンも元気そうでした。
でも5年だけここにいて、アムステルダムに帰る予定なのだそうです。
アムスに比べると、友達はいないし、パーティも無いし、よいといえばよいけれど島流しという感じでもある。
稼ぎを得るためのよんどころない方策だということのようでした。でも、静かで子供の養育にもいい。
家の中で、パベルは、オランダではずっとチェコ語で喋っていたけれど、ここでは絶対使わない。
必ずオランダ語を使うのだそうです。子供をバイリンガルにしようとしているようです。
ポーリンは、週3日チェコ語のレッスンに通っています。オランダで勤めながら通っていた大学の心理学の学位を、こちらで取るには、チェコ語で論文を書く必要があるのだそうです。
二人が、ぼくのスライドショウを見ている所。

030721-8.jpgMaaikeは、この日が誕生日で、前日までポーリンの両親が来ていたので、これは三回目の5歳の誕生日パーティだそうです。







030721-9.jpgでもなんどやってもうれしいのでしょう。









またたくまに日が過ぎ、帰りになりました。
今夜1時過ぎに、ここリモネットを出て、フランス国境を越え、ニース空港に向かいます。
早朝6時のフライトでアムステルダムへ。
アムステルダムまでは、2時間なのですが、関空行きのフライトの待ち時間が6時間。
計算して残してあった『鬼平犯科帳』の9巻10巻を読んでいるうちに、日本に着くはずです。
では、
高田直樹

7月20日チェコのブルーノに到着

2003年7月20日 チェコのブルーノに到着

久しぶりのヨーロッパのドライブで、3日目でチェコのブルーノに到着しました。 ブルーノは、ウィーンから国境を越えてくるのですが、大変近くウィーンからの距離は約100キロほどです。

030720-1.jpgリモネットを、午後の2時半に出て、トリノに寄り少しショッピングをして、食事をしていたら、トリノ発は、夜の9時半 夕暮れでした。







030720-2.jpgドロミテの大岸壁が、月光に白く浮かんでいるのを左手に見ながら、ひた走り、オーストリア国境を、朝の4時半に越えました。 こちらのハイウェイも、基本的には、日本と変わりません。 ところどころに、サービスエリア・ガスステーションがあります。




030720-3.jpg日本と違う所は、売店に酒がうってあることです。バーカウンターがあって、若い女性がビールを飲んでいたりします。







030720-4.jpg料金所も、日本と変わりません。










030720-5.jpgインスブルックを越えたあたりで、ようやくハイウェイホテルを示すベッドマークを発見。 こちらにはハイウェイ用の立派なホテルがあって、24時間営業をしています。 チェックインしたのは、朝の7時でした。 フロントのおねえさんにチェックアウトタイムを聞くと、「明日の昼まで。よく休めるように一番静かな部屋にします」といいました。

030720-6.jpg起きたのは、午後の4時。出発は、夕方の6時になりました。 道の走行車線は、金曜日の夕方とあって、キャンピングカーの大行列。 追い越し車線を、平均速度130kmで走り、快調にウィーンに着くはずだったのに、突如渋滞に巻き込まれました。 約30キロの渋滞です。事故があったようです。



030720-7.jpg渋滞を抜けるのに3時間もかかり、9時にレストランに入りました。 ウィーン近くのハイウェイホテルに入ったのは、夜中の2時になりました。







030720-8.jpgゆっくり寝て、午後出発。ここから目的地のブルーノまでは、200kmほどです。 ウィーン市街を抜けて、ドナウ川を渡ったのは2時。 チェコ国境の手前のレストランで、昼食。ビーフのカルパッチョとスパゲッティとワイン。





030720-9.jpgチェコの国境はすぐでした。いろいろ調べられたりもするのだそうですが、パスポートのチェックだけで問題なく通過。








030720-10.jpg無事パベルの新宅に到着。 パベルが、夕食にとっておきと出して来たワインは、1991年ものだったのですが、パベルがテイストして、「これは駄目」と言ったように、駄目でした。












030720-11.jpgそこで、やっぱりビールにしようとパベルはいい、「ナオキ用だよ」と持って来たビールは、 こんな素敵なラベルのものでした。







030720-12.jpgそして、......。 ブラジャーとパンティを爪ではぎ取ると、なんとヘアーヌードで陰毛ありあり。 ビールの味は、バリバリのチェコビールで最高。 これで、土産は決まりです。 ではまた。

7月14日ピエモンテワイン

2003年7月14日 ピエモンテワイン

 当地ピエモンテは、日本にはピエモンテワインで知られているようです。
 それで、ぼくもインターネットで勉強したのですが、どうもあんまりハッキリしないのですが...。書いている人がハッキリさせたくないのかどうか。
 まずバローロ。ピエモンテワインの高級銘柄として有名。つぎにバルバレスコ。これらはいづれもDOCやDOCGといった、国家の産地認定を受けたワインです。
 バローロを称するには、3年以上の熟成を必要とし、バルバレスコは、2年と定められているそうです。 バローロもバルバレスコも、ネッビオーロと呼ばれる葡萄の品種から作られます。 このバローロ及びバルバレスコ、ともに小さな村の名前です。この近辺には、ネッビオーロ種の葡萄を作る村がいくつもある。だから、バローロは必ずしもバ ローロ村産の葡萄から作られたとは考えられない、とぼくは思っています。
 こっちで聞いた話では、「近辺のワインは、3年過ぎたらみんなバローロだよ」という話もあります。 亀岡産の牛肉も、「一晩寝たら神戸牛」と似た話ではありますし、宇治の問屋から出荷したら、九州茶も宇治茶というのもある。最近は問題になったようですが...。
 いずれにしろ、ここから1〜2時間でゆける村々の葡萄畑に生育するネッビオーロと呼ばれる品種の葡萄が、バローロなりバルバレスコを作るということです。こちらでも、安くて13から15ユーロはします。 ぼくはあまり飲まないワインです。
 一方、「4年もしたら味が落ちる。まあ3年が限度」というピエモンテワインがあります。 これぞ、ドルチェットワインです。ドルチェット種から作られるワインで、軽くてさわやか肉にも魚にも合い、そして安いのです。大体3から6ユーロ。地の 人はみんなこれを飲んでいます。 僕が好きなのは、ドルチェット・ダルバ(Dolcetto d'Alba DOC)。バルベラ・ダルバもいいです。
 イタリア語でdiとかdaとかいうのは、〜のという意味だそうで、だからドルチェットダルバは、アルバ村のドルチェットから作ったワインで、産地はDOCの保証です、という意味のようです。   
 500円ほどで本当に美味しいワインが飲めるのは、うれしい限りです。

030714-1.jpgこれは、いつか買ってきてそのままに棚ざらしになっているドルチェット・ディ・ドリアーニ。2000と書いてありますから、もう飲まないと限度のようです。






030714-2.jpgここに来てすぐ、リモーネの万屋(よろずや)さんで、手書きのラベルを貼ったドルチェット・ダルバを見つけました。 3.8ユーロです。ラベルの文字はまさに手書きで、コピー機でコピーした紙が貼ってあり、その紙の切断線がジギジギしているのが、なんともいえません。 味はなかなかでした。



030714-3.jpg先日クーネオのスーパーのワイン売り場をぶらついていて、 えらく安いワインを見つけました。1.78ユーロです。よく売れているようで、最後の一本でした。






030714-4.jpg1.78 X 130 = 231.4。 230円とは何という安さ。 急いで手にしたのですが、「いや、値段と一緒に写真に撮っておこう」と思い、ばっちりカメラに納めたのです。






その日の夕刻。例の230円ワインを飲もうとしたのですが、どこにもありません。 よく考えてみたら、あの時、写真を撮るために棚に戻してそのままにしたのでした。 次ぎに行った時、もう補充されたのかたくさんありました。 早速買って帰り、飲んでみました。悪くない。他の500円ワインとグラスを二つ並べて飲み比べ。うむむ。やっぱり違いはありました。でも250円ほどの 差を評価して、またこれを買う気にはなりませんでした。まあ料理用にでもするか。
15日に、ノタリー(Notary 公証人)のサロルディ氏の所に八つ橋のお土産を持って行きました。 ノタリ−(公証人)というのは、あらゆる不動産売買を取り仕切る国家認定の人です。 サロルディ氏に夕食に招待されました。クーネオで最高のレストランだそうです。今年の一月に来た時に、高見牧場の神戸牛をお土産にしたのですが、「あの お肉は最高だった」と大感激で、そのお礼の招待のようでした。 8時40分のクーネオ・スパークリングワインから始まった食事は、最後のコニャックで12時でした。いやすごかった。撮った写真は沢山ありますが、この 詳細はまた後にします。
明日(17日)に、ここを出て、のんびりチェコ・リパブリックのブルーノを目指します。 パベルは、アムステルダムから戻ったようです。こんなメールが来ました。
Hi, we have returned to Brno from Amsterdam. Did you get the road directions ? We are waiting for your arrival this saturday July 19.
Greetings pavel

それで、今日こうメールしました。
Dear Pavel&Pauline, We will start tomorrow(7/17) here, because Tomo wants to drop into Turin for some shopping. I will approach to Bruno slowly by choosing suitable Hotel on the way, and contact to you near Bruno by Mobile Phone that I have gotten recently. I can get into your house on 19 or 20. Which is better? I shall decide after calling you from a Hotel near Bruno. Mobile Number: xxx xxx xxxx I am looking forwards to see you soon.
Best wishes,
Naoki

030714-5.jpgここからブルーノまでは、クーネオ==>ミラノ==>ベローナ==>インスブルック==>ストラスブルグ==>ウィーンと来て、そしてチェコに入りま す。総距離1300km。






国でいうと、イタリアからドイツ(インスブルック)、ドイツからオーストリア(ウィーン)と移動する訳で、たいした移動ではありません。 パベルは、
Driving from Limone to Brno is about same distance as to Amsterdam - about 1300 km. All easy highway road and you should be able to drive in one day.

と書いてきましたが、ゆっくり行って途中のハプニングを楽しむつもりです。

030714-6.jpg左下の赤線でかこった所がクーネオ、右上がブルーノです。









030714-7.jpg使う車は、フィアットのワンボックスカー、KANGOO1.5DCIです。ニースで借りた時は、走行距離890kmのほとんど新車でした。まだ当たりも 付いてないらしく、吹き上がりも重たかったのですが、大分ましになってきました。 今回のチェコ往復で、本調子になるでしょう。 では、今回はこれにて。

7月12日雨上がりの散歩

2003年7月12日 雨上がりの散歩

ここリモネットに着いて10日が経ちました。 今日は初めて雨の日です。これまでに夕方に夕立ちのようなシャワーが2・3度ありましたが...。 アルプスの山ひだの狭間にあるこの村では、雨の日は薄暗く、日中でも電気を付けたくなります。
10日経っても、東洋人には会いません。これまでに、来た時も同じ状況でした。 ぼくたちは、けっこう珍しい東洋人ということのようです。その分親切にしてもらえるのかもしれません。 日本人か中国人かどちらか分からず、「どこから来たの?」と訪ねられる場合がありますが、日本人と分かると「やはり日本人」という感じの反応です。

030712-1.jpg今日は雨降りで、することもなく、「鬼平犯科帳」とインターネットで落とした電子ブック『刺客群像』を読んで過ごしました。 夕方雨も上がったので、リモーネまで出かけることにしました。 前の街道に出ると、老夫婦が家に入ろうとしています。散歩からの帰りのようでした。
リモーネの町には、夕方のそぞろ歩きの、じいさんばあさんが溢れていました。 ぼくなどは、若い方です。いやほんとの話、ほとんどが70台から80台ばかりなのです。90をこえていると思われる人もたまには居ります。 そうしたお年寄りの2/3がグループのおばあさん。残りは夫婦、あるいはひとり。おじいさんあるいはおばあさんが、ただ一人で、よぼつきながら歩を進め ているのを見るのは、おれもいずれああなるという気がして、少し辛い気もして、カメラを向けられません。

030712-2.jpg以前定宿にしていたホテル・エクセルシオールです。かつてのモナコ王子の別荘を改築したものと聞きます。 来年の1月には、大学山岳部の連中とここに泊まってスキーをする予定。






030712-3.jpgリモーネの町には、わんちゃんを連れた人が多い。 半時間に見た犬の数は、20匹をこえました。 半分近くがノーリードです。しかしノーリードの犬は、勝手に動くので、いい写真が撮れません。





030712-4.jpgスーパーマーケットの戸口に待たされていて、他の客が来て戸を開けると一緒に入ろうとしては、その度ごとに、その客に叱られているわんちゃんがいまし た。耳が「困った。中はどうなってんの」といっています。





030712-5.jpgリモーネの町のそこここには、こんなゴミ箱のような箱が置いてあります。 近寄って良く見ると、DOG WCと書いてあり、その下に便器に座っている犬のイラストがありました。 もちろん、わんちゃんがこの箱に座る訳ではありません。




030712-6.jpgいつも行くリモーネのお肉屋さんです。









030712-7.jpgお肉屋さんのすぐ上手に、花付きのズッキーニを売ってるお店がありました。 これは、雌花ですから珍しい。 ズッキーニはカボチャの仲間ですから雄花・雌花があって、雄花はよく売られています。





030712-8.jpgこれは先日、スーパーで「ズッキーニの花」として売ってあるのを、買って帰ったものです。
インターネットで調べると、料理に珍重されるそうです。ミンチ肉をタマネギといため、チーズを絡めたものをこの花に詰め、蒸し物とする...等とありま したが、スープに入れることにしました。 充分美味しい。


030712-9.jpgこのお店には、花付きズッキーニと一緒に、バジルがありました。 スーパーには無いものをそろえているようです。







030712-10.jpgバジルを、トミーノ・トマトにあしらったアペタイザ−は、こんなことになりました。
もう食い物の話は、終わったはずだったのに、また食い物になりました。 まあ、フランス料理発祥の地といわれるピエモンテ州にいるのだから、しゃあないというべきでしょうか。

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